最近の色々

なんだかんだでこのブログを更新したのも1年前。

 

1年前の今頃は、いずれか彼氏と別れることになるとわかっていて、
それでも付き合いたい、と思っていたわけで。

 

今もそれは大きくは変わらないけれども、
ずっと一緒に居れるといいな、なんて淡い幻想を抱くようになってしまった。

期待をすれば裏切られた時のショックが大きいのだから、期待はしないと決めたはずなのに、
どうしても、期待をしてしまうのが私という人間らしく、いつだって周囲(特に彼氏)の一挙一動に振り回されるような生活を送っている。



結婚したいという思いが強くなった。

彼が失敗してしまった時でも困らないように、そばで支えたいと思うようになった。

 

そのために、仕事を頑張って、早く評価されて、収入を上げたい、という思いが強くなった。

実績を残して、スキルを身につけて、もしも海外に行くとなった時でも、
今の仕事を辞めても、何かしらの仕事ができるように、という思いが強くなった。

 

仕事を頑張りたい、ひとりでも生きていけるようにしなければ。
男性に頼らずとも、両親に十分な仕送りをしてあげられるように、
楽な生活をさせてあげられるようにしなければ。 という気持ちに、彼氏を支えたい、という気持ちがプラスされるようになった。



もともと、具体的に強くやりたいことがあるタイプの人間ではない。

 

ただ、見栄っ張りで負けず嫌いではある。
自分に自信がないという割には、できないと悔しくなるし、みんなの期待に応えられないと落ち込む。

 

これらは自分が自分にそれだけできると期待しているから出てくる感情だろう。
実際は他人はそんなに自分のことを見ていない=そこまで期待はされていないだろうし、
できないと思っているものができなくてもそんなにショックを受けることはないはず。

 

期待するからしんどくなるんだよな。自分は自尊心が低いと散々騒いできたのに、
いつの間にこんなに傲慢になったのか。もしくは元来の性格がこうなのか。(おそらく後者)

 

だいぶ大きく話が脱線したけれど、最近の思いとして、思うことが大きく2つある。

 

一つ目。問題解決をしなければならない。口を動かすならば手を動かさなければならない。

 

私が出世をしたいと考えているのは、まわりまわって自分のためだ。
私がいる会社はだいぶみんな緩いし、競争心があると思える人が少ない。
長く細く勤務して、順当に給料があがって、一生ここでやり過ごせればいいと思っている人が大半に見える。
だから、自分に期待してしまっている私は、こんなところで腐るくらいなら、
何か技術を身につけて、仕事をできる環境に行きたい、もっとシビアな環境で何かを成し遂げたい、と思ってしまう。
ここではやる気があれば評価されるのだろう?くらい舐めている。上司が聞いたら激怒するだろう。

 

しかし、あくまでもこれは私の主観的な判断なのである。働いてまもない私が、雰囲気だけで会社の状態を判断してはいけない。
では実際は?雰囲気については間違っていることばかりではない。でも、みんながそうとは限らない。
埋もれているだけで、きっと野心を抱いている人もいるだろうし、もしかしたらみんなのマインドを変えてみせる、と奔走している人もいるのかもしれない。
何にせよ、私は文句垂れているだけにすぎない。今の状態では。現状を変えるために、人の手を借りることしか考えられていない。
問題解決思考を持つようにしなければならない。何か実績を残すためには、行動しなければならない。

 

色んな本を読んでは見たものの、頭に残ることなく、結局私も言われるがまま動くだけの人間だった、というわけである。とんだ勘違い意識高い人ですね。

 

ということで、奢ることなく、何が問題で、どうしたら解決できるのか、日々考えることを辞めてはいけないのだと反省しているところである。

口だけ、というのは私の本当に悪い癖なので、どのようにして行動を伴わせるか、と言っても行動する他ないので、怠惰な生活や性格を改めなければならない。という戒め。



二つ目。結婚したい、という気持ちはなぜ生まれるのか。

 

単純に最近、結婚したい、という気持ちが強まってきているが、なぜ人(きっと特に女)は結婚したがるのか?
というのを書こうと思ったけれど、ひとまず書くの疲れてしまったから次に書くつもりが起きたら続きは書きます。ひとまず今日は終わり〜。

 

慣れと忘却

 

 

 

 

 

慣れというのはほんとうに恐ろしいもので。

 

 

 

 

 

 

昨今、世界ではコロナウイルスが流行し、

ここ日本においても緊急事態宣言が発令され、4月いっぱい在宅勤務となった。

 

 

 

 

幸か不幸か、ウイルス流行のタイミングと重なりはしたが、

それではない理由で、彼の渡米が最低一年延びた。

 

 

 

 

 

ただ延びただけなので、私がこの人と結婚はできず、

いつかくる別れがなくなったわけではないということはわかっている。

 

 

 

 

 

それでも、彼が日本にいる。

 

 

一週間に一度でも、一か月に一度でも、会える距離に彼がいる。

 

 

 

 

それだけで幸せなはずなのに、

 

 

 

わたしは欲が深い生き物であるので、

ラインの返事が来ないことや、いつか来る別れのために疲弊してしまう。

 

 

 

 

 

すでに依存しているということなのだろうか?

 

 

 

 

ただ、こうして考えて、

確かに、週に一回はあっているし、一日に一回は返事も来るし。

いつでもうちに来ていいよと言ってくれるし。

 

 

 

仕事のほうが大事なんて、そんなのわかってて付き合ってきて

そろそろ一年近く経つのだから、今更騒ぐほうがおかしいし。

 

 

 

 

といった形で自分のこころを諫めて無理にでも

ポジティブに考えられるようになってきたのは、

昔の私に比べたら成長している、と思う。及第点。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼が日本にいるということも当たり前じゃないし、

 

 

こうして生きているだけでも儲けものだってことを

 

 

 

忘れてはいけない、のになあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

慣れてはいけない、環境に甘えず、自分の中の幸せを見つけられるようになりたい。

 

 

 

 

 

人からもらえるしあわせだけで生きていくのはなかなか厳しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は最強。

 

 

 

 

 

ジョジョ・ラビットを見てきた

 

 

 

ナードの須田さんと、芸術好きな友人が見ていて良かったと言っていたから気になったので、見に行ってみた

 

 

 

 

 

愛は最強。 というキャッチフレーズを

ポスターに載せたこの映画。

 

 

 

 

 

まさしく、愛が正義だと思わざるを得ない内容であった。

 

 

 

 

 

第二次世界大戦中、敗戦間近のドイツにて。

 

 

 

 

 

 

愛と正義を学ぶにはまだまだ幼すぎる10歳の少年ジョジョのストーリー。

 

 

 

 

愛をたくさん感じさせてくれる映画だった

 

 

 

 

わたしも、電車で隣に座っている人も、わたしの嫌いな人も、わたしのことが嫌いな人も、

 

 

きっとどこかの誰かの愛しい人なのだな、と考えた

 

 

 

 

 

 

涙脆い私には泣かずに見るのは無理すぎた

 

 

 

 

 

 

おそらく色んな伏線とかがあるはずなので

もう一度見たいな、と思う映画

 

 

 

 

 

 

 

愛はすごい

 

 

 

 

 

 

心の中に受けるものよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしも愛する人を大切に生きたい

 

 

 

 

愛を大切にできるよう、育てたい

 

 

 

 

 

実感と決意

 

 

 

 

 

彼が本格的に英語の勉強を始めたようだ。

 

 

 

一緒に会社に行くギリギリまで寝ることは、

今後もう、きっと一生ないのだろう。

 

 

 

 

 

意外と、大丈夫だと思っていた。

 

 

時間が経つほど冷静になって、

この人じゃなきゃいけなかったわけではない、とか

世の中たくさん男の人はいる、とか

たくさんの言い訳を自分の中に見つけることができて、

4月のお別れまで泣かないで済むと思っていた。

 

 

 

 

 

彼は英語を勉強して、

 

わたしはばれないように布団の中で密かに泣いている。

 

 

 

 

 

 

現実を突きつけてくる。

 

3ヶ月、後3ヶ月もしたら、

 

わたしの横から彼はいなくなり、

 

この家から、この日本から、彼はいなくなる。

 

 

 

 

 

何かを成し遂げられる人は、

やると決めたことを継続できる人だと、

この人をみていると思う。

 

 

 

 

ただブログを更新することすらできない自分に嫌気が差す。

 

 

 

いつまで経っても口だけでものを言うことしかできない自分に嫌気が差す。

 

 

 

嫌気は差すわりに、なにかをしようとしない自分にまた腹が立つ。

 

 

 

疲労を言い訳にサボる自分。

 

 

 

いつまでこんなこと続けるのだろう。

 

 

 

 

 

彼と一緒にいれても、いれなくても、

ここでかわらないといつまでも置いていかれる側だ。

 

 

 

 

 

 

きっと、きっとこんな気持ちも

馬鹿なわたしはすぐ忘れるのだろう。

 

 

 

 

 

忘れる前にはじめたい。

 

 

 

忘れる前に、置いていかれる前に、頑張りたい。

 

 

 

 

 

 

後3ヶ月でなにができるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

見定めて、決断しなければ、いつまでもこのままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

強くなれ、強く、強く。

 

 

 

 

 

もろもろ

 

 

 

 

 

 

一週間ぶりに彼氏に会った

 

 

 

 

彼氏と飲むと飲み過ぎてしまう、よくない

 

 

 

 

 

なんだか、3ヶ月になにかしらの形で別れが生じるとわかってはいるんだけども

 

 

 

 

 

 

それにしてもわたしは愛され過ぎているなという気持ちになる

 

 

 

 

 

 

もしかして世界で一番幸せなのか

 

とか思ってしまう、柄にもなく

 

 

 

 

 

 

 

高校時代から長く付き合った彼氏に会った

 

 

 

 

 

でも、それがどうなるわけでもないくらい

 

わたしのいまのかれは素敵すぎる

 

 

 

 

 

 

すばらしいね、みんなは常日頃こんな幸せを感じて生きているのかな

 

 

 

 

 

 

こんなに幸せだったら

死にたいとも思わなくなるわね

 

 

 

 

 

 

20200102

 

 

 

 

新年早々、先輩宅で新年会。

 

 

準備とかしてもらっているのを見ると申し訳なくなってしまう性分。

 

 

人の目が気になりすぎる。

 

 

どう思われているかを把握できる能力とか欲しい。

 

 

 

傷つきそうだからいらない。

 

 

 

20200101

 

 

 

タイトルのわりにもう日付は変わってしまったのだけど。

 

 

2020年になった。

 

 

きっと、とてつもなく、つらい年になるだろう。

 

 

そんななか、一日一日の感情を忘れたくなくて、

毎日このブログを更新することを今年の目標にした。

 

毎日と言ったらまいにちなので、ほんの数文でも、書いていこうと思う。

 

 

 

久々に投稿するので、2019年の振り返り的なものからしておこうと思う。

 

 

 

2019年、忌々しい大学と、

愛しく恨めしく確かに私の存在場所であったアルバイト先を卒業した。

 

そして、現在の会社に入社。

 

 

仕事内容は思っていたものとは違いずっとオペレーションを任され

システム移行に巻き込まれ、体力的に、というよりも精神的に削られていった。

 

 

当時は定時上がりが必須、会社で必要とされるわけでもなく、

同期も少なくもれなく気が合わない。

会社を定時で上がったところで飲みに行くわけでもなく家に帰る日々。

同時期に新社会人となった同期たちは毎日新しい職場の人と楽しそうに飲んでいて

わたしに構っている余裕などない。

 

 

大学時代の四分の三をアルバイトに費やしていた私には

土日すら何をしたらいいかわからず、とにかく苦痛でしかなかった。

自分の孤独さをまざまざと見せつけられた。

 

 

 

そんななか、わたしが行き着いた答えは、

「とにかく甘やかしてくれる彼氏を作ろう」

だった。

 

 

なんて浅はかなのだろう。

 

それでも、心の拠り所が欲しかった。

 

 

マッチングアプリに登録し、何人かに会い、今の彼と付き合うこととなる。

 

 

最初は、また3ヶ月くらいで別れるだろうと思っていた。

好みでないところも多かった。

土日に構ってくれればそれでよかったが、彼は仕事で忙しく、週一で会えないこともあった。

 

 

それでも、一緒にいるのが楽しかった。

 

 

 

気が付けば、あっという間に半年が経過していた。

 

本当に、あっという間に。

 

そして私の中には、まんまと愛が芽生えていた。

それはきっと私への態度からするに、彼も同様にだったと思う。

 

 

 

わたしは、知らなかった。

 

 

人から無条件に愛されることがこんなにも居心地がよく、

それを原動力に他のことを頑張ろうと思うことができるだということを。

 

つらいことがあっても、

彼がいると思えば、頑張ることができた。

 

わたしのことを認めてくれている人が一人この世にいると確信できることが

こんなにも私に生きることの背中を押してくれるとは思ってもいなかった。

 

 

ただ、これは依存ではなかった。

 

確かな愛を感じられれば、

いつだかの私のように、不安ばかりに駆られることはないのだと、学んだ。

 

人の言葉を、信じてみようと思えた。

 

 

彼との出会いは、間違いなく、

私の人生の中で、とてつもなく大きな変化を与えてくれた。

 

この人と結婚したいと思った。

 

 

 

 

12月下旬、彼から、彼が海外に行こうと考えていることを告げられる。

 

そして、その時に別れようと告げられた。

 

 

 

悲しくて仕方がなかった。

 

わたしにはあなたの隣にいる価値はないということなの?とすら思った

 

 

 

ただ私は、彼の言葉を信じようと思った。

 

 

彼はもしかすると都合よくやれる女がいてほしいから

まだつなぎとめているのかもしれない、

もしかしたらもう私のことが好きではないけれど、

風俗に行く金の節約になるかもと思っているかもしれない

 

すこし考えはよぎった

 

 

ただ、彼に限って、そんなことはないだろうし

きっと口にして伝えてくれた言葉に嘘偽りはなかった、と信じたい。

 

こういう女が浮気されるんだよな、とも思いつつも。

 

 

 

 

彼との別れはいつかはくるだろう。

 

 

 

それが彼の旅立ちの時なのか、

 

遠距離を経た後か、

 

どちらかが死ぬときか、

 

 

それはわからない。

 

 

しかし必ず別れはくるのだ。

 

 

 

 

 

 

だとすれば。

 

 

 

 

わたしは、ひとまずの間、

 

一番近い可能性である、旅立ちの時まで、

 

 

彼の一番愛した女でいられるように努力をしよう。

 

 

手放したくない女になってやろう。

 

 

自立した、強く、かっこいい女になってやりたい。

 

 

 

 

 

到底わたしには厳しい目標だが。

 

 

 

 

 

あなたが旅立つときに、愛しているよと伝えられるように。

 

 

 

 

あと何日、と数えるとおそらくもう100日もない。

 

 

それを数えるのはあまりにも悲しすぎて泣いてしまうので。

 

 

 

あなたといられる時間を、笑顔で埋め尽くすことができるように。

 

 

 

 

いつかこの記事を見て、笑い飛ばしてほしい。

 

くっさい文章を書いていることは百も千も承知だ。

 

 

 

 

どんな思い出になっていくかな。

 

 

 

綴ろう。忘れないように。