高校時代の元彼に会った。

 

 

わたしと付き合っていた時には、とても泣き虫で弱虫で、

 

僕なんか、僕なんか、が口癖の人だった。

 

よく死にたいと口にしていた。

 

そのうじうじした感じが、自分と重なってか、とってもいらいらしていた。

 

 

そんな元彼と会ってきた。

 

 

 

 

話し方や面影はそのまま残っていたが、

 

彼は、間違いなく大人になっていた。

 

 

恋愛に対する考え方も、

 

自分自身に対する考え方も、

 

自分の生き方についても、

 

大人になっていた。

 

 

 

 

昔のように、

 

自分を頭ごなしに否定したり、卑屈に物事をとらえたりは、していなかった。

 

 

 

彼は、私といる間、

 

 

一度も

 

死にたいと、口にしなかった。

 

 

 

 

 

 

「見た目は大人になったけど、(わたし)の心は

 

高校生のときの面影が、そのまんま残っているね。」

 

 

 

そう、彼は言った。

 

 

 

 

 

彼曰く、

 

「自分は成長するための、必要な過程を、

大学時代で経験できたのだとおもう。」

 

 

 

 

 

彼は、大学、大学院での生活において、

 

 

恋愛のあり方、自分自身のあり方、自分の好きなもの、

自分のやりたいこと、自分の頑張りたいこと、

自分が胸を張って頑張ってきたこと、

 

どれもこれもを手に入れた、

 

もしくは、学び、時にもがき、勝ち取ってきたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの四年間が、

 

 

どれほど無意味で、ちゃちで、恥ずかしいものかを知らしめられた瞬間だった。

 

 

 

 

 

この歳にもなって、

 

まだ、

 

わたしは、

 

死にたいなどと、

 

子供じみたことを

 

思う。

 

感じる。

 

言葉に出す。

 

 

 

 

 

それが、人間として足りていないことなのだと、

 

 

頭ではわかっているつもりだった。

 

 

 

 

幼稚なことなのだと、わかっていた。 

 

 

 

 

自尊心の低さを、

 

環境や、親のせいにして、

 

自分では何も頑張ってこなかったことを棚に上げて

 

 

人生を呪った。

 

 

もがき、苦しみ、自分の存在価値を高めようと、してこなかった。

 

 

 

 

 

それが、幼稚であることからも、

 

目を背けてきた。

 

 

 

現実を目の当たりにして、

 

 

自分がどれだけ荒唐無稽で、現実のことなど、何もわかっていなかったかを

 

  

思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

わたしは、

 

まだまだ大人になれないで、

 

心に、十六、七の制服をまとったままでいる。

 

 

 

 

世の中に、

 

人々に、

 

友達に、

 

世界に、

 

地球に、

 

おいて行かれている。

 

 

 

 

 

わたしは、ここから、動けずにいる。